ポケモンはもともと大人向けのゲームだった

スポンサーリンク

世代を超えて愛されるポケットモンスターですが、実はもともと大人向けのコンセプトをふんだんに盛り込んで作られていたということをご存知ですか?

つい最近ではニンテンドー3DSにて、『ポケットモンスター金』と『ポケットモンスター銀』が、バーチャルコンソールで配信されています。わたしにとっては思い出のゲームソフトです。

わたしが初めてポケットモンスターというゲームで遊んだのは、今から15年以上も前のこと。まだ保育園に通っていたときのことです。

当時まだ幼い子どもだったわたしを夢中にさせたポケモン。大人になった今でも、ポケモンは大好きなのですが・・・。

ポケモンはなぜ、子供だけではなく、大人さえも夢中にさせるのでしょうか?

そこには、ポケモンの生みの親である、とある男性の思いがありました。

ポケモンは大人向け?

「ポケモン?子ども向けのゲームソフトでしょ?」といった印象をお持ちの方もいらっしゃるかもししれませんが、実はポケモンは大人に向けたコンテンツとして構想されていたことをご存知ですか?

ポケモンの原案は、田尻智さんという方です。
※アニメの主人公、サトシの名前の由来は田尻さんです。まさにポケモンの生みの親!

その田尻智さんが「懐かしい少年時代の思い出を閉じ込めた」テレビゲーム、それがポケットモンスターだったのです。

今日は、ポケモンの生みの親である田尻智さんのお話です。

ひと夏の冒険

ポケモンをプレイしていて、まるで自分自身がひと夏の冒険を追体験しているかのような気分になったことがありませんか?

あっちの草むらの先には何があるんだろうとか、ここの洞窟とあそこの洞窟がつながっているんだなとか。まさに子どもの頃のワクワク感ですよね。

この草むらにはどんなポケモンが出てくるんだろう。この洞窟にはどんなポケモンがいるんだろう。

ポケモンが草むらのなかに
わたしの実家には裏山がありまして、小学5年生の頃でしょうかね、学校の友達と秘密基地をつくったことをよく憶えています。

ポケモンをプレイしているとそういった幼い頃の記憶が不思議と思い出されるっていう方は、意外といるんじゃないですか?

町田で過ごした少年時代

ポケモンの生みの親である田尻智さんは、ポケモンはご自身の少年時代の体験をベースにした作品だと明言しています。

ポケモンを作るにあたって、端的にひとこと、次のようにおっしゃっています。

具体的には、ぼくの少年時代を全部、ゲームの中に表現したいと思ったわけです。

『ポケモン・ストーリー』より引用


田尻さんのインタビューは、いろんなところで目にすることができますが、印象的なのは東京都の町田で育ったという少年時代のお話です。

町田で育ったというエピソードが、田尻さんのほとんどのインタビューに出てきます。

町田で育ちました。町田はその頃、名前だけは東京都のうちってことになっていましたけれど、まだまったくの郊外の田舎で、広々とした田んぼや森が残っていたんです。ぼくはそういうところで育って、田んぼや森で虫を取ったり、ザリガニを飼育するのが好きな子どもでした。でも、なんにでも凝ってしまうほうでしたから、虫取りなんかでもみんながやっていない方法で、効果的に虫を取るやり方を、いろいろ工夫していました。

『ポケモンの神話学』より引用

郊外のベッドタウンとして知られる東京都の町田市。

当時はまだ開発が進んでおらず、たくさん緑が残っていた頃、森のなかで昆虫採集にいそしんでいたということです。

ポケモンと少年時代
ポケモンの原点は昆虫採集だったというのは有名なおはなしですよね。

虫の捕まえ方や飼い方などを、かなり熱心に研究していた田尻さんの少年時代。

昆虫採集や自然のなかで遊んだエピソードが、ポケモンというゲームのなかに、ふんだんに取り込まれています。

とりわけ田尻さんのポケモンのエピソードで有名なのが、ニョロモというポケモンです。おたまじゃくしのポケモンです。

たとえば、「ニョロモ」っていう水モンスターがありますが、これなんかは町田の田んぼで見たおたまじゃくしから、そのまま着想しています。小学生の頃、ぼくはおたまじゃくしをすくって、よく観察していたことがあります。おたまじゃくしのおなかは、腸が透けて見えるほどに透明で、ぼくはそれをじっと見つめていた体験があります。それがひどく気になっていたんでしょう。そんなふうにして思いついたモンスターは、たくさんあります。

『ポケモンの神話学』より引用


初代のポケモンたちが妙にリアルな感じがするのは、そういった田尻さんの実体験が取り込まれているからなのでしょうね。

虫ポケモンなんて近所の山にいそうな感じがしませんか?キャタピーとかコクーンとか。

子どもながらにするどい観察力と旺盛な好奇心をもっていらっしゃったことが伺えます。とにかく何でも一番になりたかったそうで、成績も優秀だったそうです。


ポケモンのデザインを初代から担当している杉森建さんは、後にこう語っています。

「田尻から、子どもの頃のことを思い出してデザインするようにということと、モンスターたちは交換するのだから、相手が欲しくなるようなキャラクターにするようにということを言われていました」

『ポケモン・ストーリー』より引用


子どもの視点を徹底的に意識してポケモンはつくられたことがわかります。

町田という街で育った田尻さん。その経験は、「カントー地方」というポケモンの舞台にも大いに活かされています。

カントー地方

初代ポケモンの舞台は、カントー地方ですよね。カントー地方は、現実の関東地方がモデルであることは有名ですが、なぜ関東地方がモデルになったかご存知ですか?

理由は簡単で、ご自身が「関東」の町田市で育ったからです。

 ちなみにカントー地方の南に位置する、グレンタウン(グレン島)は、ご自身が少林寺拳法の合宿で、東京都内の島にいったときに「ここも東京都なの!?」とおどろいた名残りで、カントー地方に入っているそうです。

関東をモデルにしただけあって、ポケモンのフィールドって、とても身近に感じませんか?いかにも身の回りにありそうな景色・ダンジョンだとわたしは思います。

現実にありそうなダンジョン

トキワのもり、おつきみやま、イワヤマトンネル、むじんはつでんしょ、ディグダのあな。

まさに田尻さんの少年時代の遊び場がダンジョンとして、反映されているのではないかと思うのです。

トキワのもり
そこに登場するのも、かいパンやろう、とか、おとなのおねえさんとか、りかけいのおとこ、といった普通の人々。まるで近所のお兄さんやお姉さんなんですよね。

まさにひと夏の探検ですよね。とにかく少年の視点で、ゲームが進むことにこだわって、ポケモンは作られているんです。

あくまでもそれは少年時代の自分なんですよ。だから大人になってからの視線は一切入っていない。子供の視線で世界を見ると、大人とは違うように見えてくるっていう部分にこだわって作ったんです。僕は子供の頃「ちびっこ」とか「ぼうず」って言われるのがすごい嫌いで、そりゃあ大人から見ればそうなんだけど「オレはちびっこじゃない!」っていつも思ってた。で、そういうのが『ポケットモンスター』にも入ってるわけ。だからゲームに登場する少年少女のキャラクターっていうのは対等な関係なんだけど、大人はちょっと自分を見下したような言い方をするんです。でも、大人のトレーナーと戦闘のやりとりをすると、相手がちょっと見直してくれたりする。そういう人間関係を繰り返していって、自分が認められて、少しずつ成長していく。それはすべて僕の個人的な体験の再現だったわけだけれど、そこにこだわったおかげで、世界中の子供もじつはみんな似たような体験をしながら成長していってるんだと、あとになってわかってきた。

https://www.nintendo.co.jp/nom/0007/taidan1/page04.html より引用

幼いころは、子ども扱いされるのが大嫌いだった田尻さん。ポケモンの世界でも、ロケット団なんかは、プレイヤーのことを子ども扱いしてきますよね。

でもポケモンバトルで勝利すると、プレイヤーのことを見直してくれるんです。

少年時代「子ども扱い」されてくやしかった田尻さんの思い出が、ポケモンにもおおいに反映されていることがわかりますよね。

交換するということ

田尻さんは、当時めずらしかった通信交換というシステムを考案します。当時のゲームボーイでは、通信ケーブルを使った遊びは対戦やデータの共有といったものが主流でした。

そこで、ポケモンという自分の持っている生き物を交換する、という遊び方にたどり着いたのです。

このとき、交換したくなる仕組みとして、プレイヤー毎にポケモンに違いを持たせたかったという田尻さん。

その名残りが、IDというシステムなのです。

本当はプレイヤーごとにポケモンの色や姿が微妙に異なるような仕様にしたかったそうなのですが、さすがに技術的に難しいので、IDという固有の番号を乱数で作り出し、プレイヤーに割り振ったのです。

これにより、そのIDを持つポケモンは実質世界に一匹しかいないことになります。自分で捕まえた自分だけのポケモン。その証がIDなのです。

IDが違えば、そのポケモンには独自の価値がうまれます。そうなると、いろんな友達と独自の価値を持つポケモンをいっぱい交換したくなりますよね。

通信交換で進化するポケモンも、交換したくなる仕組みづくりを考えた結果うまれたものです。ひとつのソフトのなかで一匹しか捕まらないポケモンや、片方のバージョンでしか登場しないポケモンも、交換をしたくなる要素なのです。

メンコにベーゴマ、トレーディングカードなど、子どもの遊びにはいつの時代も、交換がつきものですよね。

そういう少年時代の普遍的な楽しみをとても自然なかたちでゲームのなかに落とし込んでいるところがポケモンのすごいところなのです。

ゲームの中での「交換」という行為の位置付けを見ると、田尻が何を悩み、悩んだ末にどこに行き着いたかということが、とてもよく分かります。たとえば野球選手やお相撲さんのカード、メンコ、あるいはビー玉やベーゴマでもいいのですが、これらの遊びには、「勝負」と「交換」という行為がつきものでした。勝負もしなければならないので、いつも和気アイアイに、というわけにはいきませんでしたが、自分の大事にしているカードやビー玉やベーゴマを、前から欲しかった誰かのものと交換してもらうのは、やるせなさと嬉しさの入り混じった、興奮する行為でした。(中略)しかし、です。どれほどメンコやビー玉に夢中になったとしても、1日中遊んでいたわけではありません。(中略)生活全体の中でのメンコ遊びやビー玉遊びだったのです。(中略)そして、ポケモンのゲームには、その部分が実に丁寧に描かれているのです。

『ポケモン・ストーリー』より引用

一昔前の大人たちが体験していた、交換する楽しみを見事にポケモンというゲームで再現した田尻さん。

この「交換」という仕組みが爆発的なヒットにつながったのです。

強いポケモンを友達と交換する、珍しいポケモンを友達と交換する、まだ持っていないポケモンを友達と交換する。

子どもの遊びの「交換」という要素が、見事にテレビゲームのなかで再現されていますよね。

大人に向けてポケモンはつくられた

具体的には、ぼくの少年時代を全部、ゲームの中に表現したいと思ったわけです。ぼくがあの頃に受けた知的刺激ですね。それを全部、ゲームに封じ込めたかったわけですよ。だからあれは、子どもたちにっていうよりも、実はぼくと同じ世代の人たちに、こんなことがあったでしょって、伝えたいっていう気持ちですね。でも、それが子どもたちにも伝わったわけですよ。子どもの世界は変わらないっていうかね、時代が変わっても、子どもが面白いと思うことは同じなんですね」

『ポケモンストーリー』より引用

実は田尻さんと同世代の大人たちに向けて、ポケモンはつくられていたんですね。どうりで、妙にブラックなジョークもあるわけです・・・。

ポケモンの発売は1996年。1965年生まれの田尻さんは当時31歳です。つまり、同世代の30歳くらいの大人たちの共感を呼ぼうとしたのです。

その結果、その懐かしい世界設定が、現役の子どもたち(1990年前後にうまれた現在20〜30歳くらいのわたしたちの世代)にバカ受け。


ご自身の少年時代のエピソードを凝縮させて、大人に向けて作られたポケットモンスターという作品。現在では小さな子どもから大人まで、幅広い世代が楽しむコンテンツとなっています。

人類共通の「少年時代」という要素がぎっしりと詰まったポケモンは、結果としてあらゆる世代の心に響いたということですね。


子どもたちには目新しく映り、大人たちにはどこか懐かしく見える世界。
それが世界中で愛されるポケモンの秘密なのかもしれません。

金・銀以降は、ポケモン開発の第一線からは退いていらっしゃるようですが、田尻さんのDNAは最新のポケモンにも脈々と受け継がれていくことでしょう。

これからも懐かしくて新しいポケモンワールドは、世界中の子どもと大人を魅了していくのだろうなと思います。

いくつになっても、少年時代の冒険が楽しめる世界。
そんな世界がポケットモンスターシリーズに貫かれたコンセプトなのです。

【おまけ】ポケモン・ストーリーとポケモンの神話学

今回の記事を書くにあたり、田尻智さんのエピソードがかなり詳しく載っている『ポケモンストーリー』と『ポケモンの神話学』という2冊の書籍を読みました。

『ポケモン・ストーリー』は、ゲームフリークの成り立ちから、任天堂との絡みアニメ化、カード化、そしてポケモンショックについてなど、非常にディープな内容までかなり詳しく記載されているので、非常に読み応えがあります。

当時の小学生を熱狂させた、ミュウの都市伝説についても詳しく記述されています。ミュウはスタッフの遊び心からたまたま生まれた都市伝説だった、というエピソードがとてもおもしろかったです。ぜひご一読ください。

『ポケモンの神話学』は、フロイトやレヴィ=ストロースなどにも触れながら、ポケモンの論考が進みます。神話学というだけあって、ちょっと難しいかもしれないです。

機会があれば、ぜひこうしたポケモンの論考を読んでみるのもいいと思います。