仕事が辛い新入社員は風呂で歌おう

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わたしは毎日、朝起きるとすぐのお風呂に入っている。朝のお風呂に欠かせないのがBGM。そう、音楽である。

音楽を聴きながら浴びる熱いシャワー。音楽にあわせてお風呂のなかで歌う。こんなに気持ちのいいことはない。「お風呂で音楽を聴く」という、朝の一連の儀式のおかげで今のわたしがあると言っても過言ではない。


今日は、「お風呂と音楽」に人生を救われたおはなしをしようと思う。わたしの人生などとるに足らないものではあるが、お風呂のなかで音楽を流すことの素晴らしさを多くの人に知ってもらいたい。

話は今から数年前にさかのぼる。そう、あの頃のことは今でも忘れはしない。わたしが新社会人として新しい生活を始めたときのことである。

絶望のふち

もともとクズであったわたしは、クソみたいな学生生活を送っていた。バイトもしない、勉強もしない、典型的なダメ大学生だったのだ。勉学から逃げて、サークルの友人とテレビゲームに興じているような愚か者だった。それでも単位を落としたり、留年したりすることはなかった。狡猾にも人並みの真面目さを演じていた。

昔からそうだった。人から叱られるが嫌だったので、中学校でも高校でも、ずっと真面目なキャラを演じていたのである。中高時代も、教員からの評価は高かった。いわゆる真面目系クズといったところか。

でも大した能力はなかった。しかし、プライドだけはやたらと高く、いつも他人と自分を比べていた。何も出来ない甘ちゃんだったくせに、自尊心と羞恥心だけは一人前に持ち合わせていたのだった。これが大きな過ちだった。

自尊心が高く、常に人目を気にする性格。こんなに厄介なことはない。

ひどく甘やかされて育った(末っ子だった)こともあり、幼い頃から身の回りのことが苦手だった。不器用、ドンさくい、要領が悪い、だんどりができない、そんな人間。それがわたしだった。

前述の通り、人一倍プライドは高かったので、失敗を異常に恐れるあまり人と一緒に作業することが恐ろしく苦手だった。

とにかく人前で恥をかきたくない、しかられたくない。そんな感情が高ぶるあまり「議論」とか「アルバイト」とか「異性との付き合い」とか「細かな手作業」とか、自分が苦手なことを必死に避けて生きていたのである。

「こんなこともできないの?」そう言われるのが怖くて、人前ではいつも自分を隠していた。自分の能力の底を見せるのが嫌だった。失望されたくなかった。

就職活動

大学時代はダラダラと過ごしていたわたしだったが、口先だけは達者だった。得意の口八丁、手八丁でなんとか就職活動を終えた。希望する業界から内定をいただいた当時大学4年生のわたしはおおいに浮かれていた。

愚かにも、有頂天になっていたのである。いずれそのメッキが剥がれることも知らずに・・・。

その後、大学の卒業論文を仕上げて、無事に大学を卒業することが出来た。希望する就職先に行ける、わたしは世間的には幸せものだったのかもしれない。

そしてついに運命の新社会人生活が始まることとなる。

崩壊するメンタル

新社会人として働き出した4月。わたしを覆っていたもろいメッキは一瞬で崩れ去った。とにかく仕事ができなかった。びっくりするくらい何もできなかった。当然のように先輩たちからは指導が飛んでくる。

「こんなこともできないの?」「ハサミ使ったことある?」「コピー機、触ったことないの?」「書類の整え方がグチャグチャだね」「ファイリングが汚いよ」「さっき同じこと言ったよね?」「ちゃんとメモとった?」

就職したわたしを待ち受けていたのは、先輩たちの流れるような連撃であった。容赦のない言葉。数年ぶりにたくさんの人達から久しぶりに叱られた。これが極めて辛かった。

無能なのにとにかくプライドだけは高かったわたしのメンタルは、数日間のうちに砕けていったのである。英単語の暗記は得意だったが、オフィスではそんな能力は何の役にも立たない。どうあがいても絶望だった。

他人に迷惑をかけているという事実、足を引っ張っているという事実、しかもそれが日常生活の事務作業のなかで頻発する。これがたまらなく辛かった。

先輩の目がこわかった。いつも監視されているのではないか。また笑われるのではないか。また叱られるのではないか。そんな風に考えるようになった。もはや妄想の域である。完全に理性的な判断ができなくなったのである。

先輩がわたしのことをずっと監視している。そんな真っ黒な感情が心を覆っていった。いつも胸のあたりにドス黒いかたまりがぐるぐると渦巻いているような感覚があったことを今でも憶えている。当時、あまりにも辛かったのでオフィスにいられなかったため、よくトイレに隠れていた。

家に帰って泣いてしまうこともしばしば。情けないことに親に電話までしてしまった。「もう仕事を辞めたい、すぐに辞めたい」涙をボロボロ流しながら、親に電話したのは、人生のなかであの時が最初で最後。入社して2週間、4月の中旬くらいのことである。

思い返せば小さなことで悩んでいたな、と今なら笑い話にできるが当時のわたしは文字通り死ぬような思いだったに違いない。

必死にすがった親だったが、あまりにも非情だった。「甘えたことを言うな。もっとしっかりしろ。そんなことで電話してくるな」

話さえ聞いてもらえなかった。実の息子が涙を流しながら電話をしているのに。まあ、親としては正しい対応だろう。

朝が辛かった

そんな状況のなかで、一番つらかったのが朝だ。とにかくベッドから起きられない。「今日も1日仕事だ・・・」そう思うと体が自動的に拒否反応を起こす。

ベッドの中の自分はあまりにも重かった。まるで体中が鉄か鉛のカタマリのようだった。ベッドから抜け出るのに、非情に苦労していたことをはっきりと憶えている。

ベッドから抜け出す、お風呂に向かう、着替える、朝食をとる、歯を磨く、そして家を出る。このルーチンが信じられないくらい辛く、本当に苦しい日々が続いた。

逆に仕事が終わって帰宅する夕方の時間帯は、足取りが軽かったのが幸いだった。

音楽が朝を変えた

朝の辛さをなんとかしよう。そう考えたわたしは、朝に楽しみを作ることにした。

そこで考えたのが、お風呂にスピーカーを設置する、というアイデアだった。無理やり頭と心を覚醒させるためにはこれしかなかった。

アップテンポの音楽を聴きながらシャワーを浴び、そして歌う。

この作戦は想像以上に、効果があった。マンションの狭いお風呂が逆に好都合だった。音が反響して重層感のある立体的な音になる。もともと歌うことが好きだったので、BGMにあわせてお風呂の中で歌うようにした。

お風呂で歌う
この画像はイメージ。

マンションの隣人はさぞうるさい思いをしていたに違いない。でも、歌わざるを得なかった。カラ元気でもいい、とにかくやる気をださないといけなかった。

毎朝、温かいシャワーを浴びながら、疑似的なひとカラを楽しむ。そんなバカみたいな作戦だったが、当時のわたしには大いにこの取り組みが効いた。

大音量で音楽を流し、熱いお湯を浴びる。信じられないくらい気持ちよかった。クラシック、JPOP、洋楽、アニソン、などいろんな曲がお風呂の中に飛び交うのが本当に心地いいし、仕事に向かう気持ちを奮い立たせてくれる。お風呂からあがるころには、すっきりとした気持ちになっていた。

歌う楽しみ、音楽を聴く楽しみ、そしてシャワーを浴びる気持ちよさ。まさに狭いお風呂が奏でる三重奏。マンションの隣人には本当に感謝している。今のところ一度も苦情が来ていない。本当はうるさかったのかも知れないが・・・。

とにかく「お風呂と音楽」こんなに相性の良い組み合わせはそうそうあるものではない。何週間、何ヶ月と、この取り組みを続けた。徐々に朝のお風呂が楽しみになっていく自分がいた。明日の朝は何を聴こう、何を歌おう。そんな楽しみができたのだった。

朝のストレスはみるみるうちに減っていった。相変わらず仕事は辛かったが、半年もすれば朝の苦しさはほとんどなくなっていた。

毎日、諦めずに気持ちを奮い立たせることが出来たのは、お風呂で音楽を聴いて歌ったおかげだ。わたしが買った防水スピーカーはわずか1万円ほど。単三電池を3本入れるだけで動く。そんな簡単なつくりのスピーカーだが、けっこう良い音がするのだ。

決して高価なスピーカーではない。でも、わたしにとっては素晴らしい買い物だった。別にこのスピーカーじゃなくても良い。なんだっていいのだ。

iPhoneやXperiaをビニール袋に入れて風呂に持ち込んでも良い。とりあえず、風呂で歌おう。苦しい朝の気持ちがきっと和らぐから。

ちいさくてかわいらしいスピーカーが、辛い毎日のなかに彩りをつくることの大切さを教えてくれた。歌うことは救いになるのだ。

お風呂で使えるスピーカー

わたしはこの小さなスピーカーが奏でる音楽にあわせて、これからもお風呂の中で歌い続けるだろう。かなりボロボロになってしまったが、まだまだ現役だ。

マンションの隣の部屋のお風呂から、大きな歌声が聞こえてもどうか邪険にしないでほしい。きっと彼もお風呂の中で、日常のなかのちいさな彩りを謳歌しているのだと思う。