ぼったくり中華料理屋の世界観【中国人と働き方改革】

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今から1年前くらいのことだろうか。とある中華料理屋で、麻婆豆腐定食を食べて、100円をぼったくられた。

「あれお釣りが100円少なくないか?」 本来なら350円が帰ってくるはず。でも、250円しか帰ってきていない・・・。でも、ぼくは何も言わなかったよ。いや、何も言えなかったんだ。

中国人の奥さんの眼力にやられたのだ。
「はい、お釣りダヨー、アリガトゴザマシター」
その真剣な眼差しのなかには、もはや取り入る隙はなかった。

言えなかった。「お釣りが100円足りませんよ?」そんな一言が言えなかった。

確かに100円を損したのは悔しい。でも、言えないじゃん?
奥さんの勢いがやばいんだもん。超怖いの。「アリガトゴザマシター!」の一点張りだよ。そんなに自信満々に来られたら、もはや何も言えないじゃん。

だから、ぼくはそのまま帰ったよ。確かに奥さんの勢いに負けたっていうのもある。でも、あの中華料理屋にぼくはホレたのだ。だからあの100円はチップなのだ。

店員が酒盛りを始める

その中華料理屋では、閉店時間が近くなると、中国人の店員さんたちが空いてる客席に出てきて、まかないを食べ始める。しかも酒も飲みはじめる。まだお客さんが店内に残っているのにも関わらず。

中華街

※写真はイメージです。

彼らは実に楽しそうに、そして大きな声で話しながら、酒盛りを始めるんだ。多分、日本のチェーン店では絶対に見られない光景だし、個人経営の飲食店でもなかなか見られない光景だと思う。でも、あの油にまみれた薄暗い中華料理屋という世界のなかでは、彼らの振る舞いは完全に海容される。

もし仮に日本のチェーン店で、店員が客席で酒盛りを始めたらどうだろうか。きっと苦情が殺到するに違いない。でも、中華料理屋ではそれが許されるのだ。

ぼくはその光景にホレたんだ。「あっ、日本の接客もこれくらいおおらかな接客で良いんじゃないの?」って思ったんだ。

「お客さまがまだお店に残っているのに、店員が酒盛りを始めるだと?そんな接客はけしからん!」っていう風潮が日本にはあるように思う。

でも、あの中華料理屋のおおらかな空気が日本中に広まれば、きっとギスギスした今の世の中ももう少し過ごしやすくなるんじゃないかなと思ったのだ。

ぼくはあの光景を見たとき、日本人の過剰なサービス競争になにかを感じずにはいられなかった。

極めつけは100円のぼったくり

そして、前述の100円のぼったくりと続く。流れるような連撃である。こんなにおおらかで優しい世界は他にない。

例えば、ここが牛丼チェーン店ならそうはいかない。中華料理屋というエスニックな空間だからこそ、100円のぼったくりは許されるのだ。

100円のぼったくりを許そう。ぼくは許そう。ぼくは100円をぼったくられたあの中華料理屋のことを生涯忘れないだろう。それくらいカルチャーショックだった。

毎日せわしなく生きている日本人の働き方に一石を投じるのは、身近な中華料理屋だったのだ。まさに日本人総中華料理屋計画である。

日本人もあれくらい図太く、ゆとりを持って働いたほうが良いと思う。本当にそう思う。

ふたたび

ぼくはあの日のことが忘れられなかった。そしてつい先日、ふたたび、あの中華料理屋を訪れることにしたのだ。また、あの麻婆豆腐定食を食べよう。ぼくの心は高鳴った。

あの日も今日のような風が吹いていた
あれからいくつもの季節越えて時を過ごし
それでもあの思いをずっと忘れることはない
合唱曲『大切なもの』より引用

前回と同じく、ピリピリと辛い麻婆豆腐定食を注文した。異様にご飯の量が多いその麻婆豆腐定食は、ぼくのお腹を満たしていった。わずか650円、すばらしいコストパフォーマンスだ。なにより美味い。

麻婆豆腐定食

なぜ中華料理屋さんの定食は安くて美味しいのだろう。そんな原価計算をしているうちに、すっかりぼくは麻婆豆腐定食をたいらげていた。

その日、ぼくはふたたび1000円札を奥さんに渡した。そしてジャラジャラと受け取った小銭をその場で数えることはしなかった。もう何も戸惑うことはない。ぼくのホレた中華料理屋に間違いはない。

「アリガトゴザマシター」
奥さんの声が心地よく響く。

勝手に酒盛りを始めるあのおおらかな店員さんたちに憧れたあの日から1年。たとえお釣りが350円であろうとも250円であろうとも、もはや何も言うまい。

いつの日か日本中があの中華料理屋のような穏やかでマイペースな空気に包まれることを信じて、今日もぼくはぼったくられていた。