おばあちゃん子から見える人類平和の可能性【おばあちゃん子の特徴】

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みなさんは、おばあちゃんは好きですか。

わたしはおばあちゃんが好きだ。いい年した社会人になったが、今でもおばあちゃんのことが大好きである。幼いころからおばあちゃんにべったりだった。

わたしは、いわゆる、おばあちゃん子。典型的なおばあちゃん子。

祖母の指輪

これはわたしのおばあちゃんの手。昨日撮影した。シワシワだ。

ふと、考えることがある。世の中の人間がみんなおばあちゃん子だったら・・・、きっと世の中はもっと平和で楽しい世界になっている気がする。

今日は、おばあちゃん子と人類平和の可能性について考えてみたい。

おばあちゃん子の特徴

そもそもおばあちゃん子とは何だろう。まず、おばあちゃん子の特徴について考えてみよう。

おばあちゃん子

甘えん坊

おばあちゃん子は、基本的に甘えん坊である。これは間違いない。おばあちゃんはひたすら孫に優しいので、おばあちゃん子は極度の甘えん坊になる。場合によっては、かなりワガママに育つこともあるだろう。

優しい

おばあちゃん子はとにかく優しい。おばあちゃん子の人間で、いじわるな性格の人間に今まで出会ったことがない。おばあちゃん子は穏やかに、和やかに、清らかに育っていく。だからみんな優しい。

優しい人間は、おしなべておばあちゃん子である。間違いない。

性善説

はるか昔、地中海を遊説して回ったイエスキリストは「無償の愛」を民衆に説いたという。一方、現代社会でそんな無償の愛を実践しているのは、おばあちゃんくらいのものだろう。

おばあちゃんの無償の愛にふれながら育った子どもたちは、性善説を地で行く人間になる。つまり、おばあちゃん子は他の人間を疑わないのだ。人に見返りを求めない。それこそが無償の愛の根源であり、おばあちゃんの偉大さだ。

おばあちゃん子は、肌感覚で無償の愛を知っているのだ。
おばあちゃんなのにジーザス(爺)とはこれいかに。

したたかな面も持ち合わせている

おばあちゃん子はのんびりとした性格に育つ。しかしながら、非常に甘え上手なので、他人の機嫌を伺う能力にも優れている。おどけたりするのが好きなので、クラスのムードメーカーになったりするのだ。

おばあちゃん子は、良いとこ取りが得意で、人間関係の調整がうまい人間なのだ。

昔の言葉を使う

おばあちゃんと過ごす時間が長いので、地元の方言なんかに詳しくなる。おばあちゃんが使っている言葉を真似するようになるのだ。このため、言葉の機微に敏感になる。言葉は人間を作る。

おばあちゃん子が、柔らかで雅な風格を醸し出しているのはこのためだ。

お菓子が好き

どこのお家でも、おばあちゃんは隙あらば孫に対して、大量のお菓子を出してくる。このため、おばあちゃん子はお菓子が大好きになる。

あと、三ツ矢サイダーとかオロナミンCとか、ヤクルトなども冷蔵庫に常備しているので、必然的におばあちゃん子はそういった甘いものを食べて育つことになる。

おばあちゃん子が、和菓子のような甘美な空気感を身にまとっているのはこのためだ。

身の回りのおばあちゃん子

総括すると、おばあちゃん子の特徴は次のようにまとめられるだろう。

  • 他人に優しい
  • 人の気遣いができる
  • 空気が読める
  • 人を疑わない
  • 人を楽しませることが得意
  • 甘えん坊
  • お菓子が好き

どうだろう。あなたの身の回りに、こういう特徴をあわせ持った人物がいないだろうか。ゆっくりと思い出してほしい。

学校でも職場でも、ご近所でも構わない。
きっと上記のような特徴をもった人物がひとりやふたりはいるはずだ。

さあ、思い浮かびましたか?

優しくて、気が利いて、なおかつ穏やかな性格で、和菓子のように甘い空気をまとった素朴な人。

おばあちゃん子の代表
今度、その人に出会ったら、ぜひ尋ねてみてほしい。「あなたはおばあちゃん子ですか? もしくは幼いころ、お年寄りと仲が良かったですか?」と。

十中八九「Yes」という答えが返ってくるはずだ。

さあ、そろそろこの記事の本題が見えてきたでしょう。

おばあちゃん子を世の中に増やそう

前述したとおり、おばあちゃん子は聖人みたいな人が多い。つまり、わたしは声を大にして言いたいのだ。

おばあちゃん子 世にはばかれ、と。そう言いたい。


世の中がおばあちゃん子だらけになれば、ブラック企業の撲滅は当然のこと、サービス残業は激減し、パワハラも消失、飲み会の幹事はみんなで持ち回りになり、きっと素晴らしい世界になると思う。そういう社会を作らないとダメなんだと思う。

このクソ寒い中、サーフィンに誘ってくる上司もいなくなると思うんだよ。もし仮に上司がおばあちゃん子なら、絶対にそういう無茶な誘いはしないと思うんだ。

日本海の荒波のような世界は、もうコリゴリなのだ。摩周湖のような穏やかな水面のような世界。そんな清らかな世界を作りたいのだ。わたしは。

人類平和・人理修復の道は「おばあちゃん子」にかかっているといっても過言ではない。

おばあちゃん子世にはばかれ

世はまさに「人類総おばあちゃん子計画」である。コンピュータおばあちゃんとか言ってる場合じゃねえ。おばあちゃん子だよ、時代は。

だが、人類総おばあちゃん子計画は、あまりにも実現が難しいというのもまた事実。

「ハウルの動く城」計画

今後、核家族化が進めば、家族という単位はますます小さくなっていく。少子化も進む。そうなると、おばあちゃん子も減っていく。となれば、人類総おばあちゃん子計画の完遂は難しい。

みんながおばあちゃんになればいい

しかし、ここであきらめるわたしではない。おばあちゃん子を増やすのが難しいのなら、わたしたちがおばあちゃんという人格をマスターすればいい。

すなわち、私たち自身がおばあちゃんになればいいというわけだ。

ひとりひとりがおばあちゃんのように穏やかな人間になれば、きっと世の中は素敵になる。ブラック企業も減るだろう、雇い止めも減るだろう、最低賃金も増えるし、ベーシックインカムも導入されるに違いない。井戸端会議は増えるだろうが、これは仕方ない。

人類が皆、疑似的におばあちゃんになる。これを「ハウルの動く城計画」と名付けたい。呪いではない、これは祝福だ。

わたしの祖母

おばあちゃんになるために

「ハウルの動く城計画」を実現するためには、おばあちゃんの気持ちを知ることが重要だ。おばあちゃんの無償の愛を体得するための、バイブルを紹介しよう。

おばあちゃんの息遣い、おばあちゃんの所作、おばあちゃんの生きざま、そしておばあちゃんの優しさ、それら全てがが詰まった珠玉の名作ばかりである。この作品たちは、わたしたちの心を、じんわりとあたたかく、どこか切なく、そして豊かな気持ちにしてくれる。

願わくば、おばあちゃんのような無償の愛を持ち、おばあちゃん子のように他人を慈しむことができる人間がこの世界を覆いつくしてほしい。

おばあちゃんとおばあちゃん子は世界を救う。そう信じてやまない。

あと何日間、おばあちゃんと会えるだろうか

ちょうど今、年末年始の帰省で、実家に帰ってきているところだ。

祖母はちょうど85歳。背中はもうエビのように曲がっているが、まだ自分で料理も作るし、洗濯もする。今日も、近所の人が家に来て、コーヒーを飲みながらおしゃべりしていた。

つい3年前にはひ孫もできた。この景色がいつまでも続けばいいなと思う。

帰省は年に2回。1年間に14日間だけ、祖母と対面するチャンスがある。果たしてあと何日間、祖母と同じ空間を過ごせるだろうか。

もし、あなたのおじいさまやおばあさまがご存命なら、いっぱい孝行をしましょう。きっとあなたもおばあちゃん子だろうから。

おわり

今回の帰省、祖母の家に帰ると妙なモノが置いてあった。まだまだ祖母は元気そうだ。この分だと、たぶん120歳まで生きると思う。

祖母の家