牛丼とサラリーマン【その強さがあれば、すべてを守れると思った】

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ぼくがまだ小学生だった頃のおはなし。

当時、田舎の小学校に通っていたぼくは、不自由なく暮らしていた。人口は数千人の小さな町だったので、ぼくの通う小学校の全校生徒は70人くらい。白くて細長い綺麗な時計塔が印象的な小学校だった。

山と田んぼに囲まれた静かな町の、小高い丘のうえに建っている小学校でぼくは6年間を過ごした。

田舎

父と母は共働きだったけど、家にはいつも祖母がいたので寂しくなかった。田舎だったので、近所の人や友人とも距離が近くて、のびのびと暮らしていたことを憶えている。

別に裕福な家庭ではなかったけど、幸せだった。というか、クソ生意気な小学生だったので、とにかく人生をなめていた。毎日友達とスーパーファミコンやニンテンドウ64で遊んだり、山をかけめぐって秘密基地をつくったり、川に船をうかべたり、自転車で暴走したり、まあ悪ガキだった。

そんなぼくが小学5年生に上がった時、とある先生がぼくの小学校に赴任してきた。

新人の先生が町にやってきた

ぼくの5年生のときの担任は、22歳の新卒の先生。それが本田先生なのでした。

テニスが得意な本田先生は、浅黒い肌に短髪という、無骨だけどフレッシュさが漂う好青年だった。

大学を卒業し、そのままストレートで小学校の先生になった本田先生は、都会の大学からぼくの住む田舎町に赴任してきたのだ。

でもぼくたち生意気な小学生からしてみれば、新卒だろうがベテランだろうが、先生は先生。朝から夕方まで騒ぎまくり、休み時間になれば、先生をグラウンドに引っ張り回して一緒に遊んでもらっていた。いやー、今思い返せば、本田先生、ものすごく大変だったろうな。

いきなり田舎に飛ばされて、レベルの低い小学生たちを相手にするのだから。肉体的にも、精神的にも、ストレスがたまっていたと思う。

嫌味な小学生

ぼくたちは嫌味な小学生だった。

都会からやってきた本田先生をとにかくバカにしまくった。今思えば、新卒の22歳の先生にひどいことを言ったものだと申し訳なくなってくる。

汗臭い、方言がおかしい、彼女がいない、など、しょっちゅう本田先生のデリケートなことをネタにしていた。残酷だよな、子どもは。

小学校の先生は大変だよ、本当に。

牛丼屋ということ

なかでも、ぼくたちがバカにしていたのは、本田先生が毎晩、すき家(大手牛丼屋チェーン)に通っているということだった。

町には1軒だけすき家があったけど、ぼくたちは誰も行ったことがなくて、牛丼は低級な食べ物だと思っていたのだ。

「先生、なんで毎日牛丼食べにいくの?」
「家でご飯つくらないの?」
「はやくお嫁さん見つければ?」

そんな無慈悲な集中砲火を、ぼくたちは本田先生に叩き込んでいたのだが、先生はいつも笑って「家でひとりで湯豆腐を作って食べてたら、すごい悲しくなるやん? だから仕事帰りにすき家に牛丼を食べに行くんや。ぽらりすくんもおとなになったら、いつかわかる」


ハハハハハ! そんなことあるわけないよ先生! おとなになったら結婚して、奥さんに美味しい料理を作ってもらうよ! ハハハハハハ!


(ここでブラックアウトし、イルカのなごり雪が流れる)
ときがゆけば幼い君も大人になると気づかないまま


あああああああああ・・・

ぼくも先生の気持ちがわかるようになったよ

すき家の牛丼

これは2月6日(火)本日の夕飯である。ネギキムチ牛丼である。

子どもの頃、ぼくは、ひとりの青年の食生活を笑った。だが、今はぼくがその青年になった。

―強き心は時を越えて―

本田先生、見ていますか。社会人になったぼくは、週に2回はすき家で牛丼を食べていますよ。先生、ぼくは少しでも先生に近づけましたか。

先生は美人の奥さんと可愛い娘さんに囲まれて、幸せそうです。毎年欠かさず年賀状ありがとうございます。いつも楽しみにしています。どうぞ素晴らしいご家庭を。

先生はいつまで経ってもぼくの先生です。またいつかお会いできる日を楽しみに、ぼくは明日も牛丼を食べます。

10年の時を越えて、ぼくはようやく先生の幻影に並んだ。

牛丼とは、サラリーマンの味方である。偏る栄養、くたばる同期、のさばる上司、戦うぼくたち。

明日もがんばろう。
あああああ、ぼかあ、いつになったら先生に追いつけるかなあ。

おわり