苦手な上司が異動するといろいろなことが変わる

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4月になりますと、異動というものがございます。働いておりますと、必ず「あっ、この人とは相性が悪いな・・・」と感じる上司・先輩が現れます。新社会人の最初の関門であります。

どんなホワイト企業に入っても、そういう人と同じ部署・同じチームになってしまうと、元も子もありません。これは完全に運勝負。直属の上司が、馬の合わない嫌な人物だった場合、本当に大変なことになります。具体的には、心を病んでしまったり、休職してしまったり。

誰も悪くないんですよ。性格がキツイ人はしょうがない。性格はなかなか治せませんから。逆にメンタルが弱い人もしょうがない。こちらもなかなか治せない。このふたりが出会ってしまうと、悲劇になるわけです。誰も悪くないんですよ。これは完全に相性の問題です。その二人が同じチームになるのも運。

苦しみの社会人



キツイ性格の上司にあたってしまったがために、メンタルに深い傷を負ってしまった人間をたくさん見てきました。本当に悲しいことです。第1志望で入った企業だったのに。あんなに憧れた職業だったのに。

「いいところに入社できたねー、おめでとう。これから順風満帆だね」そんなエールをたくさんもらって入社したにも関わらず、人間関係のせいで、毎日を台無しにされてしまった・・・。そんなケースは無数に存在します。

と申し上げますのも、配属先の人間関係というのは、友達のように選ぶこともできず、簡単に断ち切ったりすることができないからです。朝出社してから、夕方に退勤するまで、ずっと苦手な人と共同作業をするというのは、想像以上にしんどいものです。

苦手な上司

嫌な上司にあたってしまうと、日常そのものが暗くなります。わたしもそうでした。

上司と同じ部屋でデスクワークをしていると、がちがちに緊張してしまい、冗談のひとつも言えませんでした。電話の内容も聞き耳を立てて聞かれています。間違った日本語を使おうものなら、鬼の首を取ったように指摘されます。

個人的な政治談議を聞かされたり、エクセルの使い方でマウンティングされたり。「キミ、学校でエクセルの使い方とか習わなかったの?」「家にパソコン持ってないの?」「そっか、キミ、新聞とか読まないんだっけ?」

何事も言い方だと思うのです。指導してくれるのは大変ありがたいのですが、毎日毎日、重箱のすみをつつくような小言が続くと、さすがに苦しくなってきます。もっと違う言い方あるじゃん。そんな皮肉っぽく言わなくてもいいじゃん。

この人じゃなくて、あの人が上司だったら、もっと仕事がやりやすかっただろうな。何度そう思ったか。わたしの枕は毎日濡れていました。全体的にはいい職場なのに。

悩む新社会人
なんでこの上司なんだろう。あーあ、はやく転職しよう、そう思って、公務員の説明会なんかにも行きました。

上司は選べないんだよな

「もうこの人の下では働きたくない」どんなにそう思っても、上司は選べません。

上司が異動するか、わたし自身が異動するか。そのタイミングがくるまで、じっと耐え忍ぶ必要があるわけでございました。来る日も来る日も、はやく異動できますように、と祈るわけでございます。

たとえて言うならば、砂漠に水を撒くようものです。 異動のタイミングはだいたい1年に1回でございますから、非常に苦しい時間が続きます。 そうして1年間耐え忍び、ようやく社内の異動が発表される時期がやって来るのでございます。

ここで祈りはよりいっそう強さを増していくこととなります。「頼む、別の部署に異動させてくれ。もしくは上司をどこかへ飛ばしてくれ」

困ったときの神頼みでございます。

会社砂漠
しかし、砂漠にそう簡単に花は咲かないんですよね。淡い期待裏切られてがっかりといったことも珍しくないのです。上司は残留、自分も残留。よくあるケースです。

こうしてまた、苦手な上司と1年間、一緒に仕事をすることになるのでございました。つぎの1年間は、早かったですね。嫌な上司との距離の取り方が、だんだんと身について来るのです。人間の適応力とはすさまじいものです。あれほどうるさかった小言も、右から左に受け流すことができるようになっていきました。それでもやはり、仕事がやりづらいことに変わりはありません。

仕事にいちいちケチをつけるのも、今思えば、上司なりの優しさだったと思うのですが、やはり人間は言い方ひとつ。皮肉っぽく、嫌味っぽく、ネチネチと小言を言われた日には、どんな人間だって辟易としてしまいます。そんな人が社会にはたくさんいるのです。

異動にかける日々

そうしてどうにか、ふたたび2度めの異動の時期がやって来たのでございます。

「今年こそ、今年こそ」 重ね合わせる手のひらが、擦り切れるほど祈りました。そんな祈りが通じることはありませんでした。おい、人事部いい加減仕事しろ。

またしても異動は叶いませんでした。つぎの1年はさらに早く過ぎました。上司は相変わらず、嫌な人物でしたが、さすがに2年も一緒にいるとかなり慣れてしまいます。あれほど嫌だったはずの上司なのに、もはや「嫌」という概念を超越し、ただそこに存在するものとして認識するようになってくるのです。

この領域まで達してしまえば、メンタルはずいぶん鍛えられたものになります。 そうして、また1年が経過いたしました。

上司が異動するということ

このとき、ちょうどまる3年の時間が経過していました。そして、ようやく異動が叶う瞬間が訪れました。具体的には、上司が別の部署に異動となったのです。このとき不思議な感情がわたしのなかに巻き起こりました。「そうか、ついにお別れなんだな」と。ひとすじの熱風が心のなかの砂漠を走ったのです。喜びか、寂しさか。

家に帰ってはエクセルの練習をした日々。家に帰ってひたすらボールペンで業務マニュアルをしたためた手帳は、シワシワになりました。コソコソと優しい先輩のところに質問に行った日々も、思い返せば遠くなりました。

青空が広がる
嫌な思い出が自分からどんどん遠くへ遠くへ流れていく。

ひまさえあればトイレの個室に隠れていたあの日々も、今となっては巡りくる走馬灯のように。

そしてつい先日の3月のこと。送別会が開かれました。わたしは上司の送別会でありったけの謝辞を述べました。「ありがとうございました。あなたのおかげで、エクセルが使えるようになりました。あなたのおかげで、仕事を覚えられました。ご指導のおかげです。本当にありがとうございました」

上司はまんざらでもなさそうでした。まあ、わたしもいろいろと思うところはありますよ。うらみもありますし、感謝もあります。

時間が解決することもある

この春、上司が去った職場はどこか静かです。静謐な空気。もう小言を言われる必要もない。顔色を伺う必要もない。上司より早く来て新聞を用意する必要もない。政治談義もない。先に帰ると露骨に嫌な顔をされましたが、もうそれもない。

こうなると、仕事が驚くほどはかどります。あんなに苦痛だった仕事も、今はちょっとした楽しささえ覚えます。

「最近、イキイキしてるね」「なんか楽しそうだね」「もっとそういうキャラで売ったほうがいいよ」「等身大の自分が出てるね」

のびのびとしているからでしょうか。最近、同僚はそんな声をかけてくれます。人間関係で消耗するのは本当にもったいないことだなあ、と最近強く感じます。

嫌な上司や先輩のせいで、職場で消耗しているのであれば、それは本当に不幸なことです。でも、人間関係が変われば、急に仕事が楽しくなるかも知れません。

2〜3年間くらい働くと、だんだん仕事も任されるようになりますし、いろいろと見えてくるようになります。

働き方改革が叫ばれて久しいです。職業間の流動性はかなり高くなってきています。でも、せっかく希望度の高い職種に就けたなら、じっくりと腰を据えてみるのも良いのでは、と感じる今日この頃。

人間関係が解消されると、急に働きやすくなることがあるよ。というおはなしでした。