田舎者は都会の大学に来る必要はなくて、ずっと田舎で暮らすほうがいいのかも

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母親が電話をかけてきた。

「おまえ、こっち(田舎)に帰ってきてはくれないか?」

まさか、自分がそのセリフを聞くことになるとは思わなかった。でも、今日、はっきりとそう言われた。

「せっかく家があるのに。だれも家を継ぐ人がいない。みんな兄妹は出ていってしまったから、おまえ、帰ってきてくれないか? お父さんなんか寝たきりのオバアの世話で毎日大変なんだよ。かわいそうに・・・」

わりとリアルなトーンでそう告げられた。なにも今日はじめてそんな状況になったわけじゃないのに。田舎では父親と母親と、父方の祖母が3人で暮らしている。

突然のことだった。日曜日の夕方。母親もいろいろと思いつめて、ぼくに電話をかけてきたのだろう。

「こっちに帰ってきてくれないか? おまえは東京でずっと暮らしたいだろうけどね・・・。どうなの? 帰ってくるつもりはあるの?」

「うーん、なんで、急にそんなこと聞くの?」

すぐに「帰ってもいいよ」とは言えなかった。だって田舎に帰っても仕事はない。まずそう思った。いや、選り好みしなければ仕事などたくさんあるだろう。でも、せっかく大学まで出た。大卒資格をいかせる仕事といえば、市役所の行政職くらいしか思い浮かばない。

べつに田舎は嫌いじゃない。べつに市役所だって雇ってもらえるなら、悪くない。でも、18歳で上京してきて、4年間大学で過ごし、それなりの職にもありつけた。東京には友人だっている。いきなりこの環境を捨てられるかといえば、やっぱりためらう。

「なんでそんなこと聞くの?」

「お父さん、最近元気がないの。このままだとお父さんがくたばるかもしれない。オバアは寝たきりだけど、毎日3食しっかり食べてる。まだまだ元気なんだよ。お父さんのほうがさきに参っちゃったらどうするんだ。おまえが帰ってきたら、お父さんだってちょっとは楽になるし。家はおまえが継げばいい」

父は数年前に定年を迎え、ようやく充実したセカンドライフを楽しめるはずだった。趣味の釣りに没頭できるはずだった。はずだった。

田舎の幸せ

現実は父は、オバアの介護で完全に疲労している。90歳を超えたオバアは、軽度の認知症で、腰を痛めており、ほぼ寝たきり。それでも食欲はおうせいで、まだまだ元気な様子らしい。

祖母に振り回される父親、オバアを毛嫌いする母。父はいたばさみだ。父はさぞしんどいと思う。父ももう60なかばで、持病がある。つい先日、腰まで痛めたという。

いつまで続くともわからないオバアの介護。90のオバアを65の父親が世話をする。老老介護、よく流行った言葉だけど、我が家もついにそれ苦しめられることになった。

田舎に帰るのか、東京に残るのか

田舎に帰れば、立派な家がある。父親や母親、親戚もいる。

一方、東京でずっと暮らすならば、ローンを組んで家を買う必要がある。身よりもない。彼女も地方出身なので、頼れる親類は東京にはいない。もし子どもを授かったら、ふたりだけで子育てができるのか・・・。金銭的にも不安は大きい。

田舎なら実父や実母もいるし、親類が多いから、きっと子育てはやりやすい。金銭的にも楽だろう。市役所に就職できたとして、そこで相手を見つければ、世帯の稼ぎは今よりもやや多くなるかもしれない。

田舎で暮らして、田舎で結婚して、子どもともどもみんなで暮せば、きっと都会で暮らすよりも、世帯年収は高くなると思う。少なくともぼくのようなノースキル文系は、東京に縛られる必要はない、というのが事実。下手すれば、持ち家のある田舎のほうがいい暮らしができると思う。

中学時代の友人は、高校卒業後、地元で就職し、二人の子どもをもうけている。彼は自分の親世代と暮らしているので、大家族だ。そこにはなんの不幸もない。

東京に残る意味

田舎だって悪くない。帰っても良いと思う。でも、なぜか「わかった。田舎に帰るよ」とすぐには返事ができない。なんでかなあ。

公務員試験の勉強をやりたくないから?
東京の友人関係がなくなるのがこわいから?
いまの彼女と縁を切るのがこわいから?
いまの職を失うのがもったいないから?
田舎には遊ぶ場所が少ないから?
田舎で小さくまとまりたくないから?
田舎にはコンビニがないから?
田舎には虫が多いから?
田舎は大雪が降るから?
田舎では自動車が必須だから?
田舎だと近所の人目が気になるから?
大見得を切って東京に出たのに、今さら帰るのが恥ずかしいから?

なぜ東京に固執してしまうのか。自分でもわからない。

きっと田舎のほうがいい暮らしができる

東京で暮らしていくと仮定すると、大変なことが多いと思う。

やっぱり家と子育て、これが心配になる。東京で家を持って、子どもを養っていけるのか。中学生の頃から精神年齢が成長していないいまのぼくが、急に子どもをもうけたとして、本当に子どもを教育できるのか。家は賃貸なのか、ローンを組むのか。そんなのも考え出すと、本当に心配になる。

田舎なら、もうすでに家がある。父親がこしらえた立派な家がある。ローンも完済している。父と母は、すごかったんだな。

そんな田舎で暮らすほうが、きっと心配事は少ない。

でも、「田舎に帰る」と即答できなかった。

なぜぼくたちは都会に出るのか

地方からの若者流出が止まらない。東京の一極集中はとどまるところをしらない。

そういえば、なぜ、ぼくは東京に来たんだっけ?

一番偏差値が高かったから、東京の大学を選んだ記憶がある。すこしでもレベルの高い大学にいって、友人たちに勝ちたかった。40人のクラスのなかでの惨めな意地の張り合い。少しでも偏差値の高い大学へ、少しでもランクの高い大学へ。そうして、ぼくは地元の大学には行かなかった。その結果、ノースキル文系となった。

一番かしこい生き方をしているのは、地方の医学部へ推薦で入っていたSくんだろうな。彼は田舎に帰ることを公言しており、今は研修医としてがんばっている。ゆくゆくは地元の名士として慕われていくのだろう。いい車を買って、大きな家を建てて、人の役に立つ仕事をして。

あーあ、また高校時代の話をしている。ぼくはまだ40人のクラスのなかでの嫉み合いから卒業できていないようだ。むなしいね。

田舎の人間は地元の大学に行くべきなのかもしれない

ぼくのような田舎の人間は、ちょっと夢を観て、東京の大学に来ないほうが良かったのかも。ヒイヒイ言いながらサラリーマンをやって、誰でもできる仕事をやって。35年ローンで家を買って、家族を養って。それ自体はべつにわるいことじゃない。でも、東京じゃなくてもそれはできる。

社会人になってから「田舎に帰ってきてほしい」と言われるくらいなら、東京の味なんか知らないほうがよかった。そうはいっても、東京で暮らしたって、サラリーマンでいる限り、それなりの暮らししかできない。じゃあ、やっぱり田舎で○○さんとこのセガレとして生きていくほうがいいのかも。それなら、最初から地元の大学に行って、地元の市役所にストレートで就職して、持ち家を継いで、父と母に孫の顔を見せてやって。最初からそういう道を選んでおいたほうがよかったのかもしれない。

高校時代の狭量な世界観と、ムダなプライドのせいで、こうやってノースキル東京文系人間になってしまった。そういう人は結構いるんじゃないかな。

自分の居場所は、東京なのか、田舎なのか。わからない。東京は好きだけど、たまにベッドに入って寝る前に、こう思う。あれ、ぼくってなんで東京でサラリーマンやってるんだろう。

でも田舎に帰るのもなぜか気が進まない。やっぱり東京に生まれて、東京で育って、東京に家があって、東京に親族がいて。それが最強だな。東京生まれというだけでアドバンテージ。

そうか、家族を東京に呼び寄せるのがいいのかな? それがいちばんいいかもね。

ぼくは都会の大学に来たことについては全く後悔していないし、本当に4年間楽しかった。その結果、好きな学問も修められたし、それなりに満足度の高い職業にも就けた。でも、今振り返ると、都会に出てきた意味は本当にあったのか。地元の大学に行って、地元に帰っておけば、良かったのではないか。そう思うことがたまにある、というお話でした。

優柔不断がいちばん泣きをみる。やるときはやる。やらないときはやらない。
田舎からやってきたひとりの青年は、東京を終のすみかにするのか、あるいはUターンするのか。乞うご期待といったところです。

おわり。今日の記事はそんなしょうもない日記でした。

「愛ある詐欺師」が、ムラであなたを待っている!「安全な農 産物」を求め「定年帰農」「農村暮らし」に憧れている、かつて百姓のセガレ だった都会人必読の書。「家族」「食」「故郷」の幸せの行方を真剣に考えませ んか。

かつて百姓のせがれだった都会人は、ムラに残した老親を気遣いながらも帰れず、全国各地から「新鮮で安全な農産物」を求め、「グリーンツーリズム」で週末を過ごし、「定年帰農」に憧れる。果たして、それだけでいいのか?都会に頼る農村、農村に憧れる都会という歪んだ構造を農村社会学の視点で捉え直し、日本人の「家族」「食」「故郷」の幸せの行方を占う。

徳野先生、お元気でしょうか。