なぜ駅までふたりで歩くのは気まずいのか

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さきほど仕事終わりに飲み会がありまして、それなりに盛り上がりまして、めでたしめでたしだったわけです。

飲み会が終わった後、「二次会に行く人はこっち!」「駅に行く人はこっち!」ってなるときがあると思う。

大都会の夜
わたしはだいたい1次会が終わったら、駅に向かうタイプの人間なのだが、そんなときに非常に困ることがある。

それというのも、同期の女性とふたりっきりで駅まで歩いて帰ることになってしまうときがあるのだ。これが非常に困る。

気まずい空気

一緒に帰ることになったのはAさん。とりわけ仲がいいわけでも、悪いわけではない。

高嶺の花のAさん
※画像はイメージ

凛とした雰囲気を醸し出すAさんは、わたしにとっては高嶺の花であるし、なによりそんなに会話したことがない。部署も違うし。唯一の共通点は、同期であるということくらい。

身長175cm、すらっとした体型、髪はすこしブラウンっぽいセミロングで、落ち着いた人柄で職場の花となっているAさん。いわゆるダコタ・ファニングである。

でもなぜか、Aさんとわたしは、飲み会終わりにふたりで駅まで一緒に帰るケースが多いのだ。

あまり話したことがない女性とふたりで駅まで行くのは結構しんどい。精神的に未熟なわたしは、Aさんと話すのが恥ずかしいのだ。まあ、そういうことだ。

Aさん「じゃあぽらりすくん、駅まで一緒に帰ろう」

「ハイ(高音)」

お休みの日はなにをしてるの?

Aさんはいわゆる高嶺の花である。現状維持、付かず離れずの関係で良いのだ。できるだけ穏便に駅まで帰ろう。そう強く誓った矢先のことであった。

Aさん「ぽらりすくんは、お休みの日なにをしてるの?」

いきなり爆撃を受けた気分だった。これはわたしがもっとも困る質問である。よく知らない人と話すときの定番の質問ではあるが、これは非常にえげつない質問である。

男性の生き様は休日の過ごし方で決まると言っても過言ではないのだ。とりわけわたしのようなインドア派の人間にとってはこの質問は致命傷になりかねない。

Aさんも気を使ってくれているのだろう。駅までの10分間、無言で帰るのはあまりにもつまらない。わたしとの帰路に彩りを加えようとしてくれたのだ。それでわたしに質問を投げかけてくれた―

しかし、どうしたものか? ここではなんと答えれば正解なのだ?

正直に答えるなら「寝ている」「ブログを書いている」「カメラを使って写真撮影をしている」といったところだが、どうする?

嘘をついて「ボルダリング」とでも答えるべきだろうか? いや、だめだ。中高生時代ならいざしらず、今では筋肉も衰えヒョロガリになってしまった。今のぼくではあまりにも説得力がない。ボルダリングは嘘と見抜かれる可能性が極めて高い。

最近の休日は、疲れて寝ていることが多い。しかし「休日は寝ているだけだよ」という答えではあまりにそっけない。ここは無難な答えをするのが正解であろう。

よし「カメラ」と答えよう。完璧な流れだ。

わたしの1億ビットの脳細胞が0.001秒ではじきだした最適解。
わたしの口がまさに「カ(メラ)」といいかけたその時だった。

Aさん「あっ、そういえばカメラが趣味なんだっけ?」

先手を打たれた

わたしがまさに発声せんとする、その刹那を狙ったのだ。絶対カメラキャンセラーである。
Aさん「カメラ以外に何かやってないの?」
恐るべし。こちらの選択肢を瞬時に奪ってしまうとは、まるで則天武后のような女性である。

わたしの唯一の安全策である「カメラ」という究極の答えを封殺されてしまった以上、もはやどうしようもない。わたしは飛んで火にいる夏のゴミムシと化した。

残る選択肢は2つ

どうする? どうすれば正解なのだ?
残りの選択肢は「寝ている」「ブログを書いている」のふたつ。

「寝ている」という答えではあまりに面白みにかける。しかし「ブログを書いている」というのもあまりパッとしない答えだ。どうすればいい? やはりここは嘘をついてでもボルダリングと答えるべきなのか・・・? 

悩みあぐねるわたし。思わず手に汗握る展開である。ここで悩むこと3秒。

会話において3秒というのはかなり長い沈黙である。ステージ上でスピーチをしている最中に突然沈黙した場合、会場の人が気にし始めるのもだいたい3秒くらいからである。これ以上、Aさんとの会話を断絶させる訳にはいかない。

「ブログ・・・を書いたりしてるよ」

わたしの喉は自然、ブログという単語を発していた。やってしまった。あれほど職場の人間には教えないでいようと誓ったのに。もはや後戻りはできない。

その足は震えだす、小さな過酷にも・・・。

Aさん「へぇ、ブログ書いてるんだ。そっか、カメラで撮った写真とか載せてるんだね?」

「うん、まあそういう記事を書くときもあるよ」


確かにカメラとブログの相性は良い。わたしのブログのマネタイズ方法に一瞬で気づくとは、この女性、只者ではない。前世はおそらくレディゴダイヴァであろう。生き馬の目を抜くとはこういうことを言うに違いない。

この女性の察しのよさに、なにか背中に冷たいものを感じたわたしであった。

さらなる追求

Aさん「もしかしてアメーバブログ?」

「いやいや、違うよ」


なるほど、わたしが書いているブログを特定し、わたしの恥を世の中に知らしめんとする企みであろう。しかしそうはいかない。これ以上、情報を提供してしまうと、普通にバレる恐れがある。

Aさん「え、じゃあ何のブログなの?」

「これ以上は教えられないよ。身バレするから」

おそろしい。クローズドクエスチョンに続いてオープンクエスチョンを投げかけることで、こちらの本心を巧みに開示させようとする手法だ。

まさに策士。聞く所によればAさんは、かの名将、軍師勘兵衛を祖先に持つとか持たないとか。凛としたこの美女に、一体どれだけ多くの男性がトリコになったことであろう。トリコロールだけにヴァネッサ・パラディも真っ青である。

友達のいないぼく

Aさん「ふーん、じゃあ一緒にブログを書いたりする友達もいるんだ?」

「えっ」

あろうことかAさんはブログ友達などという言葉を持ち出した。知ってのとおり、わたしは友人が非常に少ない。

それを知ってか知らずか、Aさんはわたしに容赦ないボディブローを浴びせにかかったのだ。さすがのわたしもこの質問は苦しかった。この質問は嘘をついても正直に答えても、わたしの心の荒むこと麻のごとしである。

  • 嘘をついて「ブログ友達ね、いるよ」と答えても、虚しい。
  • 正直に「ブログ友達ね、いないよ」と答えても、悲しい。

Aさんは、そんな苦渋の選択をわたしに迫ってきたのである。真綿で首を締めるような凶悪な質問だった。

わたしは正直に、かつ静かに答えた。

「ブログ友達ね・・・。まあ、いなくはないかな」

別に嘘ではない。読者登録してくださっている方が4人もいるのだ。ブログ友達がいる、これは間違いないのだ。

 

Aさんは最後にぽろっと言った。
Aさん「ふーん・・・良いね」

駅までの長い長い10分間

こうしてわたしとAさんの10分間は終わった。Aさんとはそこでおわかれ。緊張の糸がほどけた。ダコタ・ファニングは反対方向の電車へと消えていった。

二子玉川駅
長い長い10分間。しんどかった。

2人で歩いた駅までの道、見慣れた道だけど、今日は普段とは違った景色だったような気がする。

なぜ駅までふたりで歩くのは気まずいのか。それは、心が叫びたがっているからだと思う。

恋すちょう わが名はまだき 立ちにけり 
人知れずこそ 思ひそめしか・・・

すいませんおわりです。